闇に隠された恐ろしいジブリの都市伝説
子供から大人まで幅広い年齢層に愛され続けるジブリ作品。
一見純粋に映るこの作品群にも都市伝説は存在します。
少しうがった見方になるかもしれませんが、作品を違った視点から眺めることで新たな発見があるかもしれません。
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トトロは死神の化身?死に行く姉妹の物語!
ジプリ作品はトトロに始まりトトロに終わるといっても過言ではない(それは言い過ぎか)ジブリ作品の代表格といえる『となりのトトロ』。
トトロのクリッとしたお目目とふっくらとしたルックスは今でも多くの人に愛されています。
その『となりのトトロ』に関する都市伝説が、あのトトロが死神を模した存在であり、主人公姉妹のサツキとメイは実は死亡していたのではないか、というとんでもない代物です。
あの優しく穏やかな性格のトトロが死神?
にわかには信じがたい話ですが、確かに猫バスを呼ぶ時に口を大きく開けて雄叫びを上げるトトロの口の中には歯がぎっしりと並んでいて、体の小さいメイなんかは一口でパクンと食べられてしまいそうな印象もあります。
このトトロという名前ですが、語源は「トロール」からきているという説があり、トロールとは外国の言葉で「死神」を意味しています。
トトロも猫バスも、普通の人には見えません。
死んだ人間、または死期の近い人間だけが目にすることができるのではないか、猫バスは死者を冥界に送り届ける役目を持っているのではないか、といった話です。
物語の後半になるにつれサツキとメイの影が消えかかってきている、という意見もあります。
池に浮かんでいたサンダルは実際にメイのもので、サツキはいなくなったメイを探しに、つまりメイのいるあの世へと行ったのではないか。
この推測を裏づけるものとして、この『となりのトトロ』が実は「狭山事件」という実際にあった誘拐殺人事件を題材として作られている、といったものがあります。
事件とトトロの関係性はいくつかあり、
行方不明の妹を姉が探すという展開
猫の化け物や大きな狸を見たという証言
事件のあった時期に近い制作時期
トトロの物語のモデルとなった地域が事件のあった地域の「となり」である
5月に起きた事件と「サツキ(皐月)メイ(May)」という名前の関連性
物語内の七国山という名称
などが挙げられています。
つまり『となりのトトロ』は死にゆく二人の姉妹の物語である、という推測ですね。
七国山病院に入院しているサツキたちのお母さんは結核を患っていて、家族を亡くしたお父さんの頭の中の想像を再現した物語であるとも言われています。
もちろん真相は製作者さんたちにしかわかりません。
いや、やはり結局は受け手側がどう受け取るかということではないでしょうか。
あなたにはあなただけが捉えているトトロの形があるはずです。
個人的にはやっぱりハッピーエンドな温かい話であると信じていたいものですね。
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クロネコ魔女の宅急便♪
「宅急便」という言葉、実はクロネコヤマトの登録商標であり、本来『魔女の宅急便』という作品タイトルはあり得なかった、という逸話があります。
しかしジブリはどうしても「宅急便」という言葉を用いたかったのでしょう、クロネコヤマトをスポンサーとして迎え入れ、作品内にクロネコのジジというキャラクターを登場させることによってこの利権問題を収束させたようです。
また、物語の途中で主人公のキキが魔法を使えなくなる展開となり、作品内でその理由は詳しく語られないのですが、これはキキが初潮を迎えたことによる身体的精神的バランスの崩れによって引き起こされた、という説があります。
大人の女性へと近づく心と体の葛藤でキキは思い悩み、物語終盤では見事その思いを払拭させて女性としての成長を見せた、というものです。
そういう見方でこの物語を捉えてみるのもありなのではないでしょうか。
体ばかり先にでかくなっていく男と比べて、女性は大人びていますからね。
千と千尋の千尋は風俗嬢だった!?
『千と千尋の神隠し』の舞台となる油屋は娼婦宿であった、とする説です。
物語の冒頭で千尋の両親は食べ物にがっつき、豚になっていくという描写があります。
これは欲にまみれ借金をしているだらしない大人というイメージで、千尋はその両親の借金の肩代わりをするために娼婦として売りに出された、といったもの。
湯老婆に与えられる「千」という名は、風俗の源氏名を表していると言われています。
油屋で働く多くの従業員が女性であるというところからも推測でき、カオナシは金さえあればなんでもできるという傲慢な欲の象徴であると言われます。
あの歴代興行収入日本一位を樹立した作品が「売春宿」をモチーフに描かれていたというのは驚きですが、確かにそういう見方もできるかもしれませんね。
天空の城ラピュタ幻のエンディング
この作品にはどうやら通常とは異なるもう一つのエンディングが存在しているらしい。
通常のエンディングは、パズーたちが海賊団と別れを告げた後、あの儚げな主題歌がバックで流れながらラピュタの樹が浮いていく、といったもの。
しかしなぜかテレビでラピュタを視聴した多くの人が違うエンディングを観たと主張しています。
そのエンディングとは、パズーがシータを故郷に送り、二人は握手を交わして別れていく、というものです。
なぜこのような異なるエンディングを多くの人が目にしたのか。
理由は所説ありますが、でもやはり、視聴者たちがそうなってほしいと思う願望が頭の中で再現され、それを実際に観たと錯覚したというものが美しいのではないでしょうか。
物語は受け手の数だけそれぞれの受け取り方があります。
こうやって都市伝説のようなものを生み出し作品の裏の設定を推測するのもよし。
純粋に物語の世界に入り込んで感受性豊かに物語を味わうのもよしではないでしょうか。
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